バスケットボール少年団の体験談 2幕
小学四年生。
それまでは、ボールを追いかけて、ドリブルして、ゴールを決めるまでの繰り返し。
基礎の基礎。
遊びのような、スポーツのような。
楽しくやっていた。
2つの少年団の子供達が、一緒になる。
Sスポーツ少年団、と仮に呼ぶことにする。
コーチ不在。監督不在。
居なかったので、親が面倒を見ることになる。
仮にコーチを決めようという話になった。
スポ少には必ず、保護者会がある。
ある時の保護者会議に父親に行ってもらった。
会長以外はみんな母親がでていた。
その時、誰かコーチが出来ないかという話になったのだ。
会長以外に父親が1人、、、頼りにされてしまった。
経験値ゼロなのに。
半ば強引に頼まれ、断れなかったらしい。
父は、それから、ミニバス(スポーツ少年団のバスケチームは正確には、ミニバスケットボールスポーツ少年団という)の本を買いあさり、寝る時も枕元に置いていたくらい、調べていた。
子供達との交流も上手で、直ぐにうちとけて、馴染んでいたようにみえた。
暫くそんなやり取りがある中、
6年生のSスポ少保護者会長が、経験者をつれてくる。
『今度から監督を務めてくれます。』
拍手👏
ボランティアで、来てくれたのだ。
その監督の教え方に期待していた。
最初は、様子を伺っていた。
連れてきた会長が居た間は、平穏だった。
ただ、
『会長が、監督に、なんでうちの子を使わないんだ、って言ってたみたい。言ってから、会長の子供が使われるようになったんだって、、』
と、噂話になっていた。
会長の息子はいつもチーム思いで、優しくて、バスケもそれなりに上手で、うちの子もかなり遊んでもらっていた。
なんで使われなかった、試合のメンバーに入らなかったのだろう。
1年が経ち、6年生が卒業していった。
うちの子、小学5年生。
同じスポ少の保護者の方から言われた。
『あんたんとこの子、背伸びないねー』
うちの子は、5年生で、身長が
110cm しか無かった。
本当に。
その頃には、下の子もいて、並ぶと同じちょっと大きいくらいだった。
下の子、保育園。
上の子は、学校側から、
『低身長の疑いあり。』の診断だった。
成長ホルモンの分泌が少ない子がなる1つの病気だ。
当時の小学校の担任の先生と保健室の先生のススメで、
それから5年間、小児科に通うことになる。
この話は逸れるのでまたの機会に呟くことにする。
ちなみに、その5年のおかげで、160cmまで伸びた。
母より身長が伸びてくれたので、ホッとしている。
とにかく、監督とは友好的では無かった。
3幕につづく。
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