haru-MIUのブログ

毎日の些細な呟きです。

バスケットボール少年団 体験談 4幕の1

お兄ちゃんは、5年生にもなると、

身の回りの準備がある程度出来るようになった。

1年前はバスケットシューズ 忘れたりしたこともあって、

怒られた事もあるからだ。

私もあまり手を掛けてあげられなかった。

とにかく、私も早起きが苦手なところに、

チームのための準備たくさんあった。

そして、わたしの次の言葉。

『お兄ちゃん、自分が準備できたから、終わり?ちがうよね?弟の準備手伝ってな。』

(´・д・`)!え〜。

って顔してたのは覚えている。

嫌々ながら、手伝ってくれていた。


今思えば、これは、もっと言い方があったな、と反省している。

もっと、お兄ちゃんを褒めてあげれば良かった、と。

『1人で忘れ物ないように準備出来て偉いね!!』と。

一言言うだけで、本人の気持ちが違っていたはず、自分から進んで弟の面倒みてくれていたかもしれないからだ。

この頃に、褒める事をおしえていれば、

兄から弟へ、褒めることが連鎖されていた、と思う。


何事も、否定から始まってはいけない。

否定は否定を産む、ということを、

この先、まざまざと見せ付けられることになる。


続く。

バスケットボール少年団 体験談 4幕 、2番目の子の話。


上の子が5年生。

下の子が1年生。


その頃になると、私も参加さぜるをえない。

試合の時のスコアの書き方、

ファウルの種類を覚えなければいけなかった。

子供達の為にドリンクを作り、タオルを準備し、

小さい子供達の面倒もみていた。


1年生で落ち着きが無かった子は、うちの子も含め、3人くらいだった。

バスケに興味がないうちの子に、

何とか試合を見てもらおうと頭振り絞って出た言葉が、

『ほら、お兄ちゃんが出てるよ!応援しよう!』

だった。

誘って2分もしないうち、上の子が交代させられてしまう事が多く、座って、大人しくなったと思ったら、

ねていた。その度に揺り起こす、

毎回『応援』となるとそんな事が続いていた。


運動の方は、基礎をコーチ(父親)が教えているのもあって、楽しく体を動かしていた。

基礎はしっかりと身につき始めていた。


続く、、

青空に桜が映えて。




山形の霞城公園にて。


散歩に最適でした。


暖かくて。


お堀を1周して、帰ってきました。

コロナ禍の中、役員の方と、警備の方がたっていて、とても静かなお花見でした。

歩く順路が一方通行になっていて、歩きやすかったです。

桜を堪能してきました。


これからも、桜が見られるような、

平和が続きますように、、