haru-MIUのブログ

毎日の些細な呟きです。

バスケットボールチームの体験談 3幕

上の子が六年生になって。

身長も思いどうりに伸びず、うちの子はベンチを温めることが多かった。

ただ、これで最後だからと、試合には出してもらえた。


この時、保育園児だった下の子が、小学1年にあがる。


『弟さんもバスケするんだよね〜、』

 『お父さんがコーチしてるんだから』


良く保護者の方から言われた。

保育園児の頃は、全く見ていないんだけど。

興味無いようだったんだけどなぁ。お兄ちゃん頑張れー、とか全く無かったのに。

と、ぼんやり思っていた私。

『今日、保護者の人から、下の子もバスケするんだよね〜?って聞かれたんだよ』

と何気なく世間話の感覚で話したら、父親が下の子に一言。

『やるか?バスケ?』

『うん!やる!』


え??即答??兄の事、見てたよね??


つくづく、子供は親の笑顔が好き、ということが分かる一言だった。

コーチ で、父親 ということ。 3、5幕

1年からバスケのチームに入っていると、

卒業生が出る度に、

 経験値ゼロ

 人が少なかったため仕方なくやっていた

と理由がうすれていく。


人が多くなり、

高学年、4年から6年まででAチーム、

低学年、1年から3年まででBチーム、

と組めるくらいの人数になり、

練習もそれなりにチームとして成り立っていたように思う。


私は上の子供を父親に任せ、下の子を連れて早く家に帰った。

平日も、休みも、コーチ(父親)がいるものだから、どうせ帰るとこ同じだから、と、帰りは任せっきりになってしまった。


思えば、これが悪かった。


ただいま、の、2人の声が、だんだん小さくなって、

難しい顔になっていったのだ。


聞くと、帰り道の車の中で、

『お前のやれる事は』『反省点は、、』

反省会といえば、聞こえはいいが、

要は、ダメだし である。

夜、晩酌の間中、ミニバスケチームの話。

ヒートアップすると、夜1時頃息子をたたき起こし、

あーだこーだ話す。目を覚まして、自分が言ったことを子供が復唱させるまで。


寝てるから! やめて!


私の声は聞こえない。


気に入らないと殴る蹴る。


なんなんだ!この人!!怖い!


見ているしか出来なかった。大きな声が私も怖かった。

せめて、殴られないように、

子供は、言われた言葉を2回復唱する事を覚えた。

すると、納得するのか、子供部屋からでていく。


家の中ではそんな事がしばらく続いた。


チームの中で良いプレイが出来た時は、すごく褒めてくれた。この時ばかりは、子供も、笑顔だった。


ちなみに補足しておく。

ミニバスのコーチという立場に置いての彼は、メンバーに凄く優しく、何回も基本を繰り返し繰り返し、出来るようになるまで付き添ってあげていた。

子供達との交流も、保護者とも、良い関係を作っていた。


私にはとても出来ない事なので、凄いな、

と素直に思ったものだ。


家の中の事を除けば。

バスケットボール少年団の体験談 2幕


小学四年生。


それまでは、ボールを追いかけて、ドリブルして、ゴールを決めるまでの繰り返し。

基礎の基礎。

遊びのような、スポーツのような。

楽しくやっていた。


2つの少年団の子供達が、一緒になる。

Sスポーツ少年団、と仮に呼ぶことにする。

  コーチ不在。監督不在。

居なかったので、親が面倒を見ることになる。

仮にコーチを決めようという話になった。


スポ少には必ず、保護者会がある。

ある時の保護者会議に父親に行ってもらった。

会長以外はみんな母親がでていた。

その時、誰かコーチが出来ないかという話になったのだ。

会長以外に父親が1人、、、頼りにされてしまった。

経験値ゼロなのに。

半ば強引に頼まれ、断れなかったらしい。


父は、それから、ミニバス(スポーツ少年団のバスケチームは正確には、ミニバスケットボールスポーツ少年団という)の本を買いあさり、寝る時も枕元に置いていたくらい、調べていた。

子供達との交流も上手で、直ぐにうちとけて、馴染んでいたようにみえた。


暫くそんなやり取りがある中、

6年生のSスポ少保護者会長が、経験者をつれてくる。

『今度から監督を務めてくれます。』

        拍手👏

ボランティアで、来てくれたのだ。


その監督の教え方に期待していた。


最初は、様子を伺っていた。

連れてきた会長が居た間は、平穏だった。

ただ、

『会長が、監督に、なんでうちの子を使わないんだ、って言ってたみたい。言ってから、会長の子供が使われるようになったんだって、、』

と、噂話になっていた。


会長の息子はいつもチーム思いで、優しくて、バスケもそれなりに上手で、うちの子もかなり遊んでもらっていた。

なんで使われなかった、試合のメンバーに入らなかったのだろう。


1年が経ち、6年生が卒業していった。


うちの子、小学5年生。


同じスポ少の保護者の方から言われた。


『あんたんとこの子、背伸びないねー』


うちの子は、5年生で、身長が

110cm しか無かった。

本当に。

その頃には、下の子もいて、並ぶと同じちょっと大きいくらいだった。

下の子、保育園。

上の子は、学校側から、

『低身長の疑いあり。』の診断だった。

成長ホルモンの分泌が少ない子がなる1つの病気だ。

当時の小学校の担任の先生と保健室の先生のススメで、

それから5年間、小児科に通うことになる。

この話は逸れるのでまたの機会に呟くことにする。

ちなみに、その5年のおかげで、160cmまで伸びた。

母より身長が伸びてくれたので、ホッとしている。



とにかく、監督とは友好的では無かった。


3幕につづく。